「惑星ベジータ」と「ワギャンランド」における”戦闘性”の考察
みんな大好き「ワギャンランド」
一昨日たまたま話題にあがったので、思い出しながら書こうと思います。
(図1 スーパーワギャンランド)
と言っても、スーパーファミコンの「スーパーワギャンランド」(図1)しかやったことがない。いわゆる”にわか”であり、20年近く前なので記憶と事実が一致しない可能性についてはご理解頂きたい。
主人公はその名の通りワギャンである。
見た目は恐竜ロボットといった感じで、「ワギャンランド」というからにはこの世界の主であり、ドラゴンボールでいうところの「惑星ベジータ」の王子ベジータ(図2)のような存在であろうと推測される。
ストーリーは記憶によると、ワギャンの家族(妻や兄弟、息子)が世界征服を企む「デビル王国」の科学者Dr.デビル(図3)に誘拐されるところから始まる。ワギャンは憎きデビル王国の敵を倒しながら、家族を取り戻していく単純明快なお話だ。Dr.デビルはドラゴンボールでいうところのフリーザ(図3)のような存在であろう。
(図3 左:Dr.デビル 右:フリーザ)
「ワギャンランド」で特筆すべきは、戦闘方法である。
ベジータはフリーザ一味のキュイに対して、「エネルギー弾」を乱射し、ボコボコにした挙句、かの有名な「汚え花火だ」というセリフとともにキュイを爆破した。
それに対し、ワギャンの戦闘方法は
「ワッ」である。
または
「ギャー」である。
聞き間違いでも見間違いでもない。ワギャンの武器は西◯カナと同じ「声量」なのである。これに当たった敵は(あの名曲のように)震えて、動けなくなる。その隙にワギャンは「やり過ごし」て、中ボスの元へ向かう。
そう。ワギャンは、どんなに恨みがあろうが手下はただDr.デビルの指示を受けているだけであり、自分の意志のない者を倒す必要がないと考えたのであろう。ハンナ・アーレントもびっくりだ。
栗坊や鋸々(ノコノコ)を踏み潰し、その血で染まった帽子をかぶる彼とは違う。
ベジータがフリーザ一味の幹部・ドドリアさんもボコボコにしていた頃(図4)、
ワギャンは
中ボスと”しりとり”をしていた。
おそらく敵の問に対する答えは「くつ」だ。そんなことはどうでもいい。
真の問は「家族を誘拐した犯人グループの幹部クラスを相手に、なぜワギャンは”しりとり”で勝負を挑んだのか?」である。
敵を震わせて動きを止めるほどのビブラートの持ち主であるワギャンが戦闘に自信がないとは考えにくい。僕の仮説はこうだ。
「ワギャンは、屈服させる対象を相手の”身体”ではなく”精神”だと考えた」
日本を代表する俳優・松田優作は言う「人間は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、みんなに忘れ去られた時だ」と。
ワンピースのヒルルクは言う
両者とも、人は身体と精神の2度の死があると言っている。
しりとりによって測れる「ボキャブラリーの豊富さ」は、この世界に対する認識の深さとも言える。それをもってワギャンは相手の肉体ではなく、精神を倒そうとしたのだ。相手の背後を取り、橋の綱を断ち切り、奈落の底に突き落とす某配管工とはやはり一線を画する。
また余談だが、”しりとり”を採用してしまったことで、海外に売り出せなかったという背景もあるそうだ(Wikipedia参照)。それほどのリスクを背負ってでも伝えたかったメッセージ性が「ワギャンランド」にはあるのだ。
(図5 フリーザと戦った結果)
ベジータが憎きフリーザと死闘を繰り広げている頃(図5)、ワギャンは
Dr.デビルに「いのしし」を「ぼたんなべ」だと言い張っていた。
結論:ワギャンランドの方が非力な僕でも生きてけそう
ちなみに、西野カナさんは好きです。「たとえ どんなに...」「FANTASY」「My Place」とかいいですよね。心と鼓膜が震えます。
おわり